チャトラン(@chatoran)です。
前回に引き続き、自己開示シリーズ、第二弾。
今回は、過去の自分を振り返り、反省しようと思っています。
もくじ
過去の言動に対して反省していること。
今年の夏は、点滴生活で全く動けない状態を過ごしていました。
そんな時、天井をぼんやり見ながら、過去についてずっと振り返っていました。
(血管がいくつもダメになり、薬の副作用で悶え苦しむ毎日。苦痛すぎて発狂していました・・・😅)
そこで気づいたこと。
当時は全く無自覚でしたが、「私は以前、周りの反感を買う発言をしていたのだろう」と思いました。
今よりずっとトゲのある発言も多かったし、振り返ると「大人げなかったな…」と感じます。
特に、GXTを否定されることには、感情的になりやすかったです。
GXTについては、人生を懸ける気持ちで投資してきたので、「真剣に応援しているものを馬鹿にされたくない」というプライドから、反対意見を受け入れられずにいました。
もともと、私はネガティブな表現に慣れていないため、批判されると、自分の存在自体を全否定された気持ちになってしまう部分があるようです。
このような背景から、自分では正論や率直な意見を述べたつもりが、嫌味っぽくなったり、違う価値観の方を不快にさせるような発言もあったかと思います。
相手を攻撃しようとか、煽るような意図は本当に全くなかったのですが、強い信念や頑固さがアダとなっていたのかもしれません。
調子に乗っていたような発言も多く、本当にお恥ずかしいです…😿
過去に、私の感情的な発言で不快な想いをされた方は、改めてこの場を借りてお詫び申し上げます。
ここ一年は、言葉に凄く気を遣うように心がけています。
まだまだ未熟ですが、謙虚さを大事に、日々行動していきたいと思います。
感情論が批判される「1億人総評論家時代」の到来。
「発言について気を付けよう・・・」というのは、ネットを見ていると余計に感じます。
最近は、有名人でもちょっと感情的な投稿をしたり、愚痴をこぼすと、ネットニュースもすぐ取り上げて話題になりますよね。
その結果、余計に批判されて炎上する傾向も多く見られます。
例えば、少年革命家youtuberの「ゆたぼん」をご存じでしょうか?
不登校で有名な14歳の男の子ですね。
ヤフーニュースでは連日、ゆたぼんの名前を見ない日がないほど、彼の発言は世論の反感を買い、炎上しています。
この動画を見ても分かるように、ゆたぼんは誹謗中傷に憤りを感じており、彼の発言は、アンチを敵対視した挑発的な表現が多いです。
私も一応発信者なので、揚げ足を取られたり、心無いことをいわれる憤りは理解できます。
しかし、そこで感情的になり「売り言葉に買い言葉」をしてしまえば、さらなる批判や誹謗中傷を引き寄せ、火に油を注いでしまう。
その結果、嫌な気持ちで過ごす状態が長く続くことになります。
ゆたぼんが非難されるのは、反対意見の人を馬鹿にしたり、違う価値観の人を見下し、自分の価値観を正当化し、自ら対立構造を生み出しているからだと思います。
ゆたぼんの今回の動画見たけど、正論といえば正論ではあるが、若さゆえに見識が足りないのかなって部分が見えます。挑発的な発言を返すことでさらに反感を買っているとも知らずに。
その点HIKAKINさんのアンチの人すら平等に接するという姿勢が本当に凄いと思いました。本当にYouTuberの鑑ですよ。 pic.twitter.com/Ul9yrY0JIQ— ミーティア@CV細谷佳正 (@5000gtwpost) March 29, 2020
もしかしたら、以前の私もそういう傾向があったかもしれません。
傲慢さを反省しています。
どんな人でも、侮辱されたら相手を許せない気持ちになり、感情的・攻撃的な発言をしたくなる事ってあると思うんです。
ただ、自らその土俵から降りないと、世論のバッシングは止まりません。
今は「1億人総評論家時代」と言われていて、何かにつけて目立てば、必ず誰かが批判をしてくるような時代となりました。
理由は何であれ、感情的になったほうが負け。
批判にムキになると「大人げない」との非難を受けます。
以下の本でも、現代のネット社会について物議が醸されています。
何度も言いますが、時代を語るキーワードは「ツッコミ」です。
このツッコミという行為は、かつては面白い言動(=ボケ)に対してのみ行われるものでした。しかし今やあらゆる失言、失敗に対しても行われるようになった。ツッコミというよりも指摘、批難というたぐいのものに成り代わったのです。
笑いに変えるための手法であった「ツッコミ」は人を簡単に批難するツールとなりました。多くの人は他人にツッコまれることを恐れて、なるべく下手な動きをしないようになった。同調するようになったわけです。
もともと人と違うことをするのが苦手な日本人がますます萎縮するようになったのは、この「ツッコミ」という攻撃によるものといえるでしょう。
「ツッコミなんかしてないよ」と言う人でも知らず知らずのうちにツッコミをしてしまっているはずです。気になるニュースについてツイッターでコメントする。タレントの年齢詐称や整形疑惑についてミクシィなどでコメントする。友達の変わった言動に対してコメントする――。
重ねて言いますが、ツッコミというのは「なんでやねん!」という行為のことだけを言っているわけではありません。
自分では何もしないのに他人がすることについて批評、ときに批判することを指します。これが私の言っている「ツッコミ志向」ということです。(「一億総ツッコミ時代/マキタスポーツ」より抜粋)
この本のとおり、現代のネット社会では「揚げ足取りのツッコミ合戦」が繰り広げられているように感じています。
SNSやyoutubeなどの心ないコメント欄を見ても思いますが、世間はいつから行動する者に厳しくなったのでしょうね。
こういう時代なので、言葉には、本当に気を付けないな・・と感じる次第です。
全てを笑って受け流せる、心の余裕を身につけたい。
もし、感情的になりそうなことがあったときは、「2:7:1の法則」を常に意識しておきたいなと思っています。
みなさんは、2:7:1の法則をご存じでしょうか?
簡単な図にしてみるとこんな感じです。
つまり、周りに10人いれば、2人が大ファン・7人が中間層・1人がアンチになるということ。
世界には色んな価値観の人がいます。
全員に賛同されるなんて絶対に無理ですよね。
そのため、何か文句を言われたり、否定や批判を受けても、感情的にならず、サラッとかわせるしなやかさも必要だなと感じます。
そうしないと、心が持たないです。
自分の正義を主張すればするほど、非難も悪化します。
反対意見や否定的な人の存在を受け入れることで、自分の器も大きくなります。
なので私も、もし何か悪く言われることがあったとしても、ムキになるのではなく、スマートに受け流せる&冷静に受け止められる余裕のある大人になりたいと思います。
「分かってくれない」ではなく「理解される」よう努力する。
先ほど「同じ土俵に乗らない」ことについて述べましたが、その一方で「何もしないままで相手に理解を求める」のもいけない、と感じたこともあります。
今年は、自分の思惑と異なることを書き込まれることも多く、理不尽さに胸が詰まる想いでした。
当時は「分かってくれない」「誤解だ」と憤りを感じることもありましたが、次第に「自分の努力不足を棚上げして、愚痴をこぼすのはダサイよな…」と思うようになりました。
まず、「分かってくれない」という感情ですが、そもそも「他人が無条件に自分のことを分かってくれる」と期待することが間違いだったと反省しています。
「自分は何もしないのに、相手は理解する努力をすべき」という発想も、自己中心的ですよね。ちゃんと伝えてもいないのに、伝わるわけがありません。
さらに、私はどうやら考え方がかなり独特らしく、人一倍誤解されやすかったり、周囲に理解されにくい性質だそうです。
(発想が創造的でぶっ飛んでいるのか?)
だからこそ、価値観の違う相手に理解してもらいたいなら、まず自分が全身全霊で、分かりやすく他の方に伝わるように努力すべきだったと思います。
「誤解するアンタが悪い」ではなく、誤解される自分にも原因がある。
自分の非を認めるのは勇気がいりますが、それが成長の糧になると思います。
これからは、現状に不平不満をこぼすぐらいなら、「全てやり切った」と思える所まで、まずはちゃんと相手に伝わるような努力をしていこうと思います。
以上、今回は、自分が反省していることや改善したいことについてまとめました。
また感想などあればお聞かせいただければ幸いです。
最後までお読みくださってありがとうございます。
次のコラムは「買取プロジェクトで挫折した話」についてお伝えしていこうと思っています。